動物の親は、人間もまた例外ではなく、子が生まれ落ちたその瞬間から別れの日に向かって育てはじめる。
自らの足で大地を踏みしめ、胸を張って広い世界へと巣立っていけるように。
その日のために、惜しみなく愛を注ぎ、眠れぬ夜を越え、数えきれない朝を迎える。
振り返れば、それは怒涛のような歳月だった。
そして気づけば、わたしは新郎の母になっていた。
結婚式の数日前から、夢をよく見た。
決まって、二、三歳のころの息子が現れる。
たどたどしい足取り。きらきらと光る瞳。
わたしに向かって差し伸べられる小さな手。
子犬のようにまとわりついていたかと思えば、
可愛らしい制服に帽子をかぶり、幼稚園へ通いはじめる。
手をつないで歩いていたはずなのに、
背中より大きなランドセルを背負い、ひとりで小学校へ向かう。
やがて、わたしよりも背が高くなり、
見上げていたはずの顔を見下ろされるようになる。
友人との時間が何よりも大切になり、
家の中よりも外の世界へ心が広がっていく。
その節目ごとに、胸の奥に灯る大きな喜びと、
ほんの少しの寂しさ。
その両方を抱きしめながら、
わたしは黙って、彼の背中を見送ってきたのだと思う。
大学の卒業式は、わたしにとってもひとつの卒業だった。
扶養を外れ、学費の心配から解き放たれたとき、
長いあいだ背負っていた見えない荷物が、
ふっと軽くなるのを感じた。
就職が決まり、家を出るその日。
彼は少し照れたように言った。
「これからは、お母さんの好きなように生きていいよ。」
その言葉に、胸が静かに震えた。
けれど、社会人になったばかりの緊張やストレスを思うと、
頼まれもしないのに、つい荷物を送り、
あれこれと世話を焼いてしまう自分がいた。
長いあいだ、
「一人前の社会人に育て上げること」が
わたしの至上命題であり、人生の最優先事項だった。
その使命が終わったとき、
何を拠り所にすればよいのか、
少し迷子になっていたのかもしれない。
子どもはとっくに親離れをしていたのに、
わたしのほうが、さりげなく子離れできていなかった。
その事実に、ようやく気づいた。
結婚式当日。
友人や先輩方に囲まれ、祝福の言葉が降り注ぐなか、
彼は確かな足取りで立っていた。
自分の家庭を得た喜び。
新たな責任を引き受ける覚悟。
その両方が、凛とした姿から伝わってくる。
その瞬間、
胸の奥にわずかに残っていた「母としての重み」が、
すうっと溶けていくのを感じた。
わたしは、もう十分に役目を果たしたのだと。
いま、わたしは人生でいちばん自由な時間を生きている。
誰かのためだけではなく、
自分のために、時間を使い、心を動かし、
新しい景色を見に行ける。
息子の結婚は、別れではなかった。
それは、わたしへの贈り物だったのだ。
母として歩んできた年月に、
そっとリボンをかけるような祝福。
送り出したはずのその日、
わたしはもう一度、
「わたし」という人生を歩きはじめた。