久しぶりに通った小学校への道に、かつてあったものがないことに気づく。
赤いランドセルが肩幅いっぱいだったあの頃、
通学路には本屋さんがあった。
本屋さんには本しかない、そんな時代。
おおらかなもので、袋詰めもされず、ヒモで縛られることもなく、
それらの本は立ち読みしたい放題だった。
レジの真ん前、学校帰りの小学生は
お店の人の視線もおかまいなしに左から右へと順に読みすすめていた。
6年間の長きにわたって私の人格形成を担ってくれた有り難い場所。
時間割は国語、算数、理科、社会、体育、音楽しかなかった時、
歴史という分野に目を向けさせてくれたのが「ベルサイユのばら」。
知らない国の変わった格好をした人たちのなかに、モーツアルトを見つけた。
ピアノを習っていた私が唯一馴染みのある登場人物。
この人たちはモーツアルトと同じ時を生きたのだ。
モーツアルトのヒミツをちょっと知ったみたいで気分があがった。
マリーアントワネットの母であるマリア・テレジアが、
勉強嫌いで怠け者でと娘の行く末を心配するシーンでは、
ヤバい•••ウチと一緒やん、
と共感する。
「きっかけ」とか「いとぐち」は様々な分野の扉を開けてくれる。
ランドセルを背負った女の子が歴女という名の棺桶に片足つっこんだ瞬間である。
自宅の書棚にあるのは「家庭の医学」程度。
田舎の小学校の図書館の蔵書なんぞあっというまに食い尽くし、いや読み尽くしてしまった。
だから、毎週毎月新しい本が入荷される本屋さんはパラダイス。
小学生の私は本屋さんで立ち読みするついでに学校に行っていた。
今思えば、本屋さんは6年間ただの一度も咎めることなく、
暖かく見守ってくれていたのだ。
私は家のそとに「読書室」(ただし立ったまま)を持つ
贅沢な小学生だったのだということを数十年後に知った。
P.S. 本屋さんのおじさん、ありがとう。