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子育てという長い恋がおわるとき

人生の第二章が始まる予感•••

2026年2月14日

動物の親は、人間もまた例外ではなく、子が生まれ落ちたその瞬間から別れの日に向かって育てはじめる。
自らの足で大地を踏みしめ、胸を張って広い世界へと巣立っていけるように。
その日のために、惜しみなく愛を注ぎ、眠れぬ夜を越え、数えきれない朝を迎える。

振り返れば、それは怒涛のような歳月だった。
そして気づけば、わたしは新郎の母になっていた。

結婚式の数日前から、夢をよく見た。
決まって、二、三歳のころの息子が現れる。
たどたどしい足取り。きらきらと光る瞳。
わたしに向かって差し伸べられる小さな手。

子犬のようにまとわりついていたかと思えば、
可愛らしい制服に帽子をかぶり、幼稚園へ通いはじめる。
手をつないで歩いていたはずなのに、
背中より大きなランドセルを背負い、ひとりで小学校へ向かう。

やがて、わたしよりも背が高くなり、
見上げていたはずの顔を見下ろされるようになる。
友人との時間が何よりも大切になり、
家の中よりも外の世界へ心が広がっていく。

その節目ごとに、胸の奥に灯る大きな喜びと、
ほんの少しの寂しさ。
その両方を抱きしめながら、
わたしは黙って、彼の背中を見送ってきたのだと思う。

大学の卒業式は、わたしにとってもひとつの卒業だった。
扶養を外れ、学費の心配から解き放たれたとき、
長いあいだ背負っていた見えない荷物が、
ふっと軽くなるのを感じた。

就職が決まり、家を出るその日。
彼は少し照れたように言った。

「これからは、お母さんの好きなように生きていいよ。」

その言葉に、胸が静かに震えた。
けれど、社会人になったばかりの緊張やストレスを思うと、
頼まれもしないのに、つい荷物を送り、
あれこれと世話を焼いてしまう自分がいた。

長いあいだ、
「一人前の社会人に育て上げること」が
わたしの至上命題であり、人生の最優先事項だった。
その使命が終わったとき、
何を拠り所にすればよいのか、
少し迷子になっていたのかもしれない。

子どもはとっくに親離れをしていたのに、
わたしのほうが、さりげなく子離れできていなかった。
その事実に、ようやく気づいた。

結婚式当日。
友人や先輩方に囲まれ、祝福の言葉が降り注ぐなか、
彼は確かな足取りで立っていた。

自分の家庭を得た喜び。
新たな責任を引き受ける覚悟。
その両方が、凛とした姿から伝わってくる。

その瞬間、
胸の奥にわずかに残っていた「母としての重み」が、
すうっと溶けていくのを感じた。

わたしは、もう十分に役目を果たしたのだと。

いま、わたしは人生でいちばん自由な時間を生きている。
誰かのためだけではなく、
自分のために、時間を使い、心を動かし、
新しい景色を見に行ける。

息子の結婚は、別れではなかった。
それは、わたしへの贈り物だったのだ。

母として歩んできた年月に、
そっとリボンをかけるような祝福。

送り出したはずのその日、
わたしはもう一度、
「わたし」という人生を歩きはじめた。