半夏生の頃、沖縄はどこよりも早く梅雨明けを迎える。
子供たちが幼かった頃、夏休みの人混みを避けるように梅雨明けをねらって沖縄に行っていた。
それがちょうど半夏生の頃だった。
沖縄をこよなく愛した父が所有する那覇市内の部屋を拠点に、さまざまな場所へ繰り出した。
水牛のひく車で浅瀬を渡り、海の中が覗けるグラスボートに乗り、水族館で大きなサメに遭遇する。子供たちにとっては初めて目にするファンタジーワールドだ。朝は公設市場に出かけて色とりどりの魚が店先に並んでいることに驚き、トロピカルフルーツや地元のお菓子をつまみ食いする。吊るされていた豚の頭に足がすくんでうごけなくなったかと思えば、豚足にはためらいなく食いつく。
子供たちは非日常のあれこれを、父は孫たちとのひとときを楽しんでいた。
沖縄の夜は遅い。
日が暮れて多少なりとも気温が下がった頃に、ようやく地元の人々は繁華街へとやってくる。
子供にとっては遅い晩ごはんをすませ、散歩がてら遠回りな道を歩いていると
「行きたいところがある」
と、父が言う。晩酌の泡盛が足りなかったのか居酒屋へ行くと言うのだ。
方向音痴の私は、子供を連れて迷子になるわけにもいかないから、息子たちと一緒におじいちゃんに付き合うことにした。
曲がり角をまがるたびに道は狭くなっていく。
迷路のような細い道の先にある路地裏には、小さな居酒屋が並んでいた。
どの店も店主はみな年配の女性。昔きれいだったんだろうなぁ、という風な歴史を感じる方々。
父いわく「客も店主もいついなくなってもおかしくない」くらいの年代だった。
そこに6歳と3歳のこどもが、座敷わらしのようにチョコンと座ってシークワーサージュースを飲んでいる。
オリオンビールと泡盛、おつまみはナッツだけ。そんな店にもカラオケがあった。
ただし、沖縄民謡しかはいっていない。
父はいつものように気持ち良く沖縄民謡を歌い、孫たちも一緒に歌う。
彼らは沖縄民謡の英才教育を受けている。おじいちゃんの車にのると必ずかかっているから、いつのまにか覚えてしまっていた。まさに門前の小僧だ。
そんな子供の歌を店主のおばあも、お客のおじいも、やんやと喜んでくれた。
いまどき沖縄の子供でさえ歌わないような古い民謡を東京からやってきた幼稚園児が歌っていることに盛大な拍手がわいた。
「安里屋ユンタは歌えるか?」
見知らぬおじいが話しかける。
おばあはすでに「安里屋ユンタ」をセットして息子たちにマイクを渡していた。
真夜中の那覇の片隅、幼い兄弟が歌う民謡が狭い路地裏に響き渡る。人生初のリクエストは沖縄民謡。きっちりフルコーラス、気持ちよく熱唱して満足げな兄弟に
「いいものを聞かせてもらった」
おじいは500円玉を握らせた。
ご遠慮申し上げようと立ち上がった私に父は
「頂いておきなさい」
かくして私達家族は、見知らぬおじいにお礼を言って見送り、
6歳と3歳の兄弟デュオは沖縄で居酒屋デビューを飾った。
父が亡くなって3年。
もう私は、あの店にたどりつくことができない。