2025年9月7日
肌を撫でる風を心地よいと感じたのは、ずいぶんと久しぶり。
あの夏の温風ヒーターのように熱気をはらんだ息苦しい風とは違う。
アスファルトの照り返しは残っているものの、その熱さえすでに峠を超えた。
空を見上げてみれば、ドヤ顔で湧き上がるような真っ白な入道雲はもうどこにもない。
白い水彩絵の具を薄く塗り拡げたような柔らかな雲の帯が高く、高く広がるばかり。
婚活に出遅れたセミが叫んでみても風の音にまぎれてしまう。
焦げ付くような暑さをもたらした夏は、静かに立ち去ろうとしていた。
子どもの頃、お盆が終わると朝晩はすっかり涼しくなって、夏休みが終わりに近づいていることを知らせていた。
ラジオ体操のカードが朱色のハンコで埋まるころの早朝は、肌寒く感じる日さえあったように思う。
24時間自由時間のパラダイスから撤退する寂しさと切なさを抱えて、どっさり溜まった宿題と格闘していた8月最終週。
息子たちの幼い頃を思い出して感じるのは、
子どもは夏に成長する。
夏の終わりを惜しむのが子どもなら、夏が終わってホッとするのが大人。
乾いた風にやすらぎすら感じる。深呼吸が心地よい季節がきた。
過ぎゆく夏を惜しむことなく、手を降って見送っている。